■メッセージ・ボックス4
「ポ・ポ・モ・フォ」とPV法
「日本語は中国語に似ている」とぼくが言うと、誰もが怪訝な顔をします。でも、両者は少なくとも音韻的に似たところがあるのです。
日本語の仮名は、1字が原則として「カ」〈K + A〉とか「ピ」〈P +
I〉のように〈子音+母音〉から成っていて、それぞれの字が音声上の1単位
(1音節と見ていい)を形成し、“母音止め”になっています。
一方、中国語での漢字の1字1字には、それぞれに“形・音・義”があって、どの文字も音声上の1単位
をなしていて、たとえば「シィャオ」〈x+iao〉や「ピィェン」〈p+ian〉のように、原則として〈子音+母音〉の組合せで、原則として“母音もしくは撥音止め”になっています。
しかし、日本語が中国語と大きく違っている点は、前者には母音が5つしかないのに、後者には二重母音や三重母音がたくさんあって、母音だけで40近くもあり、日本語に比べると母音の体系が非常に複雑です。したがって、中国人が日本語を学ぶとき、発音上の困難がほとんどありませんが、逆に日本人が中国語を学習するとき、まず発音の面
で大きくつまづきます。
ぼくも、そのひとりでした。ぼくは小学校5年生まで日本語だけの環境で育ちました。母が文学好きだったこともあって、ぼくは日本語で少年少女文学に親しみ、11歳までどっぷりとその中に浸っていました。ところが、太平洋戦争で日本が無条件降伏したあと、ぼくは中国大陸の東北地方(旧満州)から父の故郷の台湾に帰ることになりました。帰台後のぼくにとって、台湾語も中国語も外国語ですから、周囲から聞こえてくる音は“雑音”でしかない状態でした。
台湾では言葉の不十分な時代が長く続きました。大学生になってもまだカタコトでしたが、いつまでもこの状態を続けるわけにはいかず、意を決して小学校1年生の教室に入れてもらい、小さな子供たちに混じって中国語の基礎音の「ポ・ポ・モ・フォ」の発音練習をしました。その結果
、やがて中国語を耳にしたとき、音声を正確にとらえることができるようになり、そのうち意味まで完全に理解できるようになりました。ひとえに、このときの訓練のおかげだと喜んでいます。
「ポ・ポ・モ・フォ」とは、一口で言えば、中国語の仮名に相当するものです。みなさんが“漢文”でご存知のとおり、中国文字には漢字しかありません。しかし、まだ漢字が読めない幼少年期では、子供たちはこの「ポ・ポ・モ・フォ」に頼って本を読みます。漢字を読もうにも、たくさんの漢字を一度に覚えられるはずがないからです。つまり、最初は「ポ・ポ・モ・フォ」だけ、ついで漢字の振り仮名にこれが用いられ、最終段階で漢字だけで読めるようになるのです。なお、「ポ・ポ・モ・フォ」は漢字の一部を借りて作られたもので、ある意味では日本語の仮名に似ています。
さて、ぼくはこの経験をもとに「言葉はまず音声から始まる」ということを身をもって知りました。そこで、英語を学ぶさいも、まず“ジョーンズ式発音記号”を教わることから始めました。ぼくがアメリカに来て早20数年が経ち、その間いろんな英語に接してきましたが、いまでもすべての米語音をジョーンズ式で表記していいと思っています。
ところで、PV法との出会いは1980年代の初めでした。新日本教育図書の藤田社長といっしょにUSC(南加大学)で教鞭をとるハーン・ミエコ先生の教室に通
って、米語の発音を音声学としてネイティブ・スピーカーから教わりましたが、藤田社長はこれに満足せず、日本人の誰もが気軽に学べる方法があるはずだと僕に迫りました。
ある日、ワーレンという教材店でPV法のチャートを目にしたぼくは、それが中国語の「ポ・ポ・モ・フォ」のチャートによく似ていることに興味を覚え、藤田社長に紹介しました。藤田社長は大学時代にローマ字表記による発音方式(ピンイン)で中国語を教わっていたため、PV法チャートを一目見るなり、興奮さめやらず、「王さん、これだよ!これしかないね」と叫びました。じつは「ポ・ポ・モ・フォ」も「ピンイン」も原理的には同じものです。
しかし、ぼくは「ジョーンズ式発音記号で十分なのに、なにをいまさら……」とPV法を視野の外に置きました。というより、ジョーンズ式に取り上げられている子音がPV法のチャートから抜けていたり、母音チャートにも曖昧母音(シュワ=
schwa)や三重母音などが欠落していて、ぼくにはとてもPV法が完成品であるとは思えなかったのです。
ぼくは現在アメリカに住んでいて、ラジオをよく聞きます。いまでは猛烈なスピードでしゃべりまくるビル・ヘンデルのトーク・ラジオなどの音声がほぼ聞き取れるようになっていますが、いざ話す段になると、とても家内には及びません。ぼくのほうが彼女より何倍も勉強しているはずなのに、なぜ上手に話せないのだろうか、と疑問の日々が続いていました。
そんなとき、ボケ防止を兼ねて、昨年から六十の手習いとして先生についてピアノを習いはじめました。楽譜の話になって恐縮ですが、英語の音と関係があるので、ひとこと説明させていただくと、音符の1つ1つを“ノート”と言い、数個の音のあとに区切り線が引かれていますが、そのひと区切りを“メジャー”と言います。そして、いくつかのメジャーが集まったものが“パッセージ”で、その集まりが大きなパッセージとなって、かくして1つの曲を形成していきます。
一方、英単語はいくつかの音から成ります。また、英単語がいくつか連続して文を作ります。つまり、楽譜でのノートが言葉での“サウンド”に当たり、メジャーが“ワード”(単語)に相当し、パッセージが“フレーズ”(句)や“クローズ”(節)、なおかつ“センテンス”(文)に該当するわけですが、この楽譜と英文との類似性にぼくは以前から気付いていました。
ところが、ぼくにおける言語的基盤が日本語と中国語であるため、1音節ずつを明確に区分して発音する癖がついていて、英語でのリンキング(連結)がうまく口にできず、久しく悩んでいました。ある日、ピアノのレッスンのとき、先生が「王さん、メジャーごとに指を休めては駄
目ですよ。1つのメジャーが終わるか終わらないうちに、指は次のメジャーの頭にもってこないと音の流れができないじゃないですか。このマークはいったい何のためにあるんですか!」と叱られました。それは“スラー”というメジャーとメジャーをつなぐ記号でした。
英語の書き言葉には単語と単語との間にスペース(間隔)がありますが、話し言葉にはスペースがなく、単語と単語がつながってリンキングという現象を起こします。のみならず、1つの単語の中で音の区切りが生じたりします。書き言葉と話し言葉の間には大きな溝が横たわっているのです。
ともあれ、ぼくはスラーの存在をはっきり意識することによってピアノを弾くときの音の流れをいくぶん作れるようになりましたが、それをヒントに、いま英語の話し言葉でのリンキングの部分をうまく言えるよう練習に励んでいます。結果
的に、楽譜のノートに相当する英語のサウンドを1つ1つ正確に発音するPV法の技術を再評価することになりました。
じつを言うと、言葉の獲得とは、脳の中にどれほどの辞書を作るかにかかっていて、大辞典を持つ人と小辞典しか持たない人とでは言葉の理解の範囲が違ってくるのは当然だとぼくは思っています。どんなに発音が素晴らしくても、また絶対音感を持つ耳であっても、頭の中に辞書がなければ会話はできません。
ですから、ぼくはいま子供用の英英辞典を読むことで自分の頭脳の辞書作りしています。英単語の概念を英語のままに理解していく作業が物事を英語で考える習慣を築くと考えるからです。映画やテレビドラマを見ながら、新しい表現や言葉に出会うごとに、単語数が1万語程度しかない不便さはあるものの、とりあえず子供用英英辞典で調べることにしています。
しかし、いくら優れた脳内辞書を持っていたとしても、発話器官が訓練されていなければスピーキングはできません。日本人の翻訳家には素晴らしい英語の翻訳ができるのに、英語を歌えないカナリアが何人もいます。また、たくさんの音を聞いていなければリスニングができません。なぜなら、英語話者のひとりひとりが個性的な話し方をするからです。
端的に言えば、スピーキングおよびリスニングとは「音声面での運動・知覚器官によって作成・交流された音波を脳の言語野で意味のある言葉に変換していく技術」にほかなりません。いうなれば、言葉を話す技術には“音声”と“意味”との2つの側面
があって、英会話の獲得には、頭の中での「辞書作り」と口と耳による音声の「発話・知覚の訓練」とが必要になってくるのです。
そこで、改めてPV法を検討してみたところ、ジョーンズ式発音記号と矛盾するものではなく、すでにジョーンズ式を身につけている人にとっても、PV法の理論と技術が役立つものであることが確認できました。ぼく自身、いま単語の綴りを見るだけで音がわかるようになり、辞書を引く手間がうんと減りました。
ぼくが台湾の小学校で「ポ・ポ・モ・フォ」を習得した結果、中国語が話せるようになったように、米語の音声習得ではPV法の訓練は欠かせないと思っています。新しい楽器を楽しむつもりで英語の発音練習に取り組んでください。日本人の英語下手が近年とみに話題にのぼっていますが、日本の教育機関がなぜPV法に目をつけないのか、いま不思議に思っています。
(00.7.22)
王 博雅(日本語研究家)−−アメリカ・カリフォルニア州・ロサンゼルス