■父がフランス人で、母はオーストリア人の英語

2002.12.11(水)

 ぼくはフロリダ州出身だけど、ぼくの英語にはフロリダ訛りがほとんど入っていない。訛りのない理由のひとつは、父がフランス系カナダ人で、母がオーストリア人だったからではないかと思っている。
 父は親戚の人がいっしょにいるときフランス語を話していた。父の話す英語を子供心に「奇妙だな」とぼくは感じていた。父はぼくにフランス語を教えなかったし、ぼくもさらさら覚える気がなかった。父が生きていた当時、ぼくは言葉に関してまったく興味がなかったし、フランス語の音則について何ひとつ知識がないので、いまも父の英語についてコメントすることはできない。
 母はドイツ語が母語だから、英語を話すとき、やはりその影響が出ていた。母は父と結婚するためにアメリカに来たわけで、大人になるまでずっとオーストリアにいたのだから、英語を覚えた年齢が遅く、ドイツ語訛りを含む英語しか話せないのは当たり前で、母の英語もまた、ぼくの耳には変てこな音声でしかなかった。
 つまり、ぼくの両親はともにアメリカへの移住者で、2人の母国語が違っていたため、家庭における共通語は完全とは言いかねる英語で、ぼくにとっては、それは幼稚な言葉になっていった。ぼくは家庭外で使われる英語を聞いて、それを口にして自分の言葉を発達させていったので、家庭内の英語の影響をほとんど受けていない。
 ぼくの生活圏で話されていた家庭外の英語が、ぼくのロールモデル(模範)になったのだが、幸いにしてと言えるかどうかわからないが、ぼくは米語の「共通語」に近い英語を身につけていった。
 家庭内言語であれ、地域言語であれ、テレビやラジオから流れてくる言語であれ、どんな言語にも、何らかの癖があって、断言してもいいが、人はひとりびとり違う言葉を話している。完全に同じ言語などこの世に存在していない。人の脳がひとりずつ違っているのだから、言葉が異なってくるのは当然であろう。したがって、個人個人が言葉に癖を持つのは必然で、それこそが「個性」であろう。
 言葉は大まかなところで人々に「共通」しているにすぎないのだが、アメリカ人に最も共通して話されている米語がGA(General American)で、ぼくが話す英語はそのGAである。GAが米語のメジャー・ランゲージ(多数派言語)である。
 それゆえ、GAを米語の「標準語」と言っているが、これも共通語と言うべきであって、標準語と呼ぶのはふさわしくない。なぜなら、言語は個人単位で違っていて、まったく同じものがないのだから、標準語に近い言葉を話せる人はいても、それを完璧に話せる人はこの世にいないと言える。
 すなわち、ぼくが話している英語は、標準語に近い共通語としてのGAである。そうした意味において、ぼくの英語が日本人のロールモデルとして適していることに気づいたとたん、ぼくは異常に「英語のサウンドとリズム」に興味を持つに至った。
 ぼくはいまAETとして小・中学校で教えているが、小学生はまったくの白紙状態だから、彼らはぼくが教えたとおりに発音できる。問題は中学生のほうで、すでにカタカナ英語の癖をすっかり身につけてしまった彼らの発音を直すのは容易でない。
 日本人にはカタカナ英語の権化のような人が多く、たとえばneighborとneverを聞き違える人がいる。前者は二重母音で、後者は短母音だし、そもそも文脈上から間違えるはずはないのだが、2つの単語の意味を知ってはいても、口に出してneighborを練習していないためか、どうやらすぐにneverのほうが頭に思い浮かぶらしい。
 言語はある種の癖にすぎないのだから、それを正しいものとして身につけていかなければならない。

(バブ・ゴーデン)