■リスニングはスピーキングより難しい?
2003.1.7(火)
正月を、いかが、お過ごしでしたか?
ぼくはアメリカ人ですが、沖縄に住む関係上、アメリカの景気の動向以上に、日本経済の成りゆきのほうが気になります。
この数年間、ぼくは新聞を読んだことがありません。正確に言うと、手持ちぶさたのとき、そこに新聞があれば、手に取ることはありますが、拾い読みするだけで、詳しく読むことはしません。テレビもほとんど目にしません。
ぼくの情報源はもっぱらインターネットで、毎日これさえ見ておけば、日本にいながらにして、世界の風向きが手に取るようにわかります。もちろん英語による情報だけで、「出来事類」は共同通信で知り、「解説類」はGNN(CNNではなく、ゲリラ・ニュース・ネットワークのこと)などをよく見ます。
英語は国際言語だけあって、マーケットが広いため、競争が激しく、ちょっとやそっとの内容では市場に参入できません。したがって、捜せば質の良い情報がたくさん見つかります。
ただし、メジャーになりすぎると、たぶんに大衆迎合的にならざるをえず、そのため時の政府がマスコミを利用して自分たちの都合のいい方向に情報を操作しようとしますが、その辺の事情をアメリカ人の多くが十分に知り尽くしています。メジャーになったマスコミが何もかも政府べったりというわけではありませんが、両者の結びつきがときに緊密になりすぎることは歴史上の多くの事実が物語っています。
ぼくはノーム・チョムスキー(The Noam Chomsky Archive)のサイトをよくのぞきます。最近になって、日本のマスコミもアメリカがイラクを攻撃したがっている本当の理由に気づいたようですが、ぼくは一昨年の9・11事件のすぐあとからインターネットのかずかずの情報から真実らしきものをつかんでいました。
日本は島国だから世界の情報が入りにくいのではなく、大多数の日本人が日本語以外の情報を受け取らないからだと思います。仮に日本人の中に英語情報から質の高い情報を得ている人がいたとしても、日米が戦火を交えたとき、英語を敵性言語として禁止する法令を出した国ですから、今日もなお英語の使い手を過小評価するきらいがこの国に残っているようです。
一人当たりの生産性が高くなりすぎて、需要が供給をまかないきれない日本の産業構造の中にあって、日本の若者はNGOやNPOとして世界に参加しようとしていますが、日本社会で生きるためにぼくが日本語を学びとったように、英語をモノにすることが世界で生き残るための必要最小限の条件になるような気がします。
ぼくが話す日本語を聞くと、誰もが聞くほうも百パーセント近いのではないかと勘違いしてしまいます。たしかに、言葉のうえでぼくが日常生活に困ることはまずありませんが、全部を聞き取れているわけではありません。友人のメルライン・フライダとシュウジが歴史の話を始めると、いつ果てることなく延々と続きますが、日本語であれ、英語であれ、ぼくにはさっぱり意味が解せません。ぼくに歴史的知識が欠如しているからです。
自分の頭から能動的に出てくるスピーキングと違って、リスニングは受身ですから、相手が話す内容についての知識がなければ理解できるはずがないのです。
リスニングでは、たとえ音声を完全に聞き取ったとしても、「単語の意味」と「文の構造」についての知識が足りないと内容理解に結びつきません。その意味において、スピーキングよりリスニングのほうが難しいと言えます。ぼくの日本語の聞き取りは、一生かかっても完璧にならないでしょうが、slow
and steadyの気持で取り組んでいます。
バブ・ゴーデンの“Practical English”は使うための英語学習法です。ぼくは自分の家族のために働き、英語を教えることを生業とする者ですが、日本人のみなさんが英語を使えるようお手伝いできることを常に工夫しつづけています。
(バブ・ゴーデン)