■言語は潜在意識下に住んでいる
2004.6.2(水)
3歳児にカギ束を渡して、「ドアを開けてちょうだい」と頼むと、苦もなく用件を満たしてくれるが、それをできるロボットを開発するにはどれくらいのコストがかかるだろうかとふと思った。
特定のカギを選び出して、カギ穴を探り当て、カギの向きを合わせてカギ穴に差し込み、力かげんを調整しながら、カギを回して開錠を確かめたあと、定位置に戻してカギ穴からカギを引き抜く、という一連の動作を子供たちはすぐにできるようになる。
私たちはこの種の人間の判断能力を当然のことのように考えているが、よくよく考えてみると、こうした動作は、立って歩き、手首を自由に動かし、対象物を目でしかと見定め、頭を前後左右に移動させうるなど、無意識にこなしている基礎的な身体能力に支えられていることを知る。人間って、スゴイなあ!
歩くことすらままならない赤ん坊が自転車に乗ることはまず不可能である。歩くには立たなければならず、立つには身体のバランスをとる術を覚えなければならないが、1歳前後の子供は何百回も転びながら、立ったり歩いたりする運動能力を身につけていく。
言語の獲得も同じである。最初は「発声」から始めて、のどから自然に出てくる母音の「ア」と唇を併用させて子音の〔p〕〔b〕〔m〕を添えて「パパ」「ババ」「ママ」などと言うようになる。1歳を迎えたばかりのぼくの末っ子が最近さかんに「イ」を発音するようになって、母親が「ア」と言うと、「イ」と返事している。「エル」も言えるようになった。日英両語の全音素が言えるようになるまで、そんなに長い時間はかからないような気がする。
友人が“Wanna−beans or rice?”とわが子に聞いたら、人差指で豆を指したので、間違いなくリスニングできていることを知った。いつになったら単語が言えるようになるのか興味津々といったところだが、単語を自由に口にするには、すべての単音を正確に発音できなければならない。なぜなら、ヒトの脳は同時にいくつものことに集中できないからである。
言い換えれば、音声を潜在意識下に定着させることによってのみ、単語を口にすることに心を集中できる。ついで、幼児の言葉は単語から文の形に進んでいくが、そのとき単語はすでに意識下に潜在化されている。ヒトの脳の言語野では、最も深い層に音声という基材が配置され、その上層に単語が重なり、その上に文を作る規則が塗り重ねられて、それらの「音・語・文」という言語素材が潜在意識下で統合されて、無意識に扱えるようになっている。これはドアのカギを開けたり、自転車に乗れるのと同じことである。
私たちは車を運転しながら他人と会話を交せるが、このとき運転者はおもに「話している内容」にだけ意識を集中させている。一方、交通事故を起こさないために適切な車間距離を取るなどといった行為は潜在意識から取り出している。
言語における音声が潜在意識の最深層に位置して、単語と構文規則がその上にあることを認識できれば、なにはさておき、英会話は音声から取り組まなければならないと考えるのが常識である。それにもかかわらず、日本の英語関係者はこんな当たり前のことに目をそらして、初期における音声教育をないがしろにしている。ぼくの知り合いのアメリカ人は、英語を話せない英語指導者がいることをとても不思議がっている。
(バブ・ゴーデン)