■音則上の表記に促れすぎないように

2002.5.25

“Waddaya Say”パート2

 “Waddaya Say”を詳細に解説するには、同書を10冊くらい書くエネルギーが必要になるので、興味のある方には自分で読んでいただくしかないと思って、大まかに紹介したところ、かえって言葉足らずになり、逆に質問責めに苦しむ破目に陥りました。
 同書は一見して体系的に見えますが、整理の仕方は中途半端で、いうなれば英語の音則を研究する段階での気付きをメモしている途上、例文がたくさん集まってきたため、とりあえず出版しておこうかとなった本ではないでしょうか。したがって、同書は決して学問的な研究書でもなく、もちろん英語の音則を究めた法典でもありません。
 ともあれ、この欄には1つ1つの質問に答える時間がないので、英語の話し言葉に対する表記法についての当社の意見を添えることで同書の再紹介に代えさせていただきます。

1、英語における話し言葉の表記

 日本語の話し言葉をカナで書くと、表記の仕方に個人差が生じます。とくに方言にあっては、十人十色の表記ができあがります。話し言葉は、いうなれば音楽に似ています。複雑な音楽に含まれる音則には「長短・高低・強弱・清濁・遅速・旋律」などがあり、人間が出せる音はわかっているだけでも3000を超えているので、80やそこらしかないカナ文字で音楽的言語を書き表わせるはずもありません。
 ニーナの試みは、カナ表記に似ています。つまり、“Waddaya Say”は彼女の個人的な英語の表記法にすぎず、音声学的な表記とはとても言えないシロモノで、この種の表記法にはがい締めされて、がんじがらめに拘束されると、かえって本質がわからなくなり、会話力の妨げになりかねません。ニーナの解釈はあくまでもリンキングの参考資料にすぎないのです。
 映画やテレビでは、いろんな訛りを持つ英語が出てきますが、その英語の字幕を見てみると、たとえばドイツ人が口にするthisをdisと表記したりしますが、ドイツ人が発音するdis(this)の語頭音は英語の〔d-〕とは別種のもので、ドイツ語の発音を英語の綴りでは表記できないのです。いうなれば、英語をカナで書く外来語用のカタカナ表記に似て、ニーナの表記法はそれと同種のものを考えていいでしょう。

2、母音止めになろうとする英語の音則

 英語の音則は「音節」(シラブル)を単位としますが、実際には日本語と同じように「母音止め」になろうとして、それがリンキング現象となって、1つの単語が2つもしくはそれ以上に分かれたり、2つもしくはそれ以上の単語が1つにつながったりします。
 この現象を詳さに研究した人は吉野義人氏で、その著『科学的英会話独習法』(研究社)にその理論が紹介されていますが、初・中級者には難解すぎるのが難点です。初版が1955年ですから、資料としてはもはや古典に属しますが、太平洋戦争が終了して10年後の研究発表ですから、吉野氏の慧眼には敬服するしかありません。もし吉野氏の理論が世の多数の英語学者に受け入れられて、大衆に理解の及ぶ普遍的な音則法として確立されていたら、日本人はいま何倍も英語が話せるようになっていることでしょう。
 吉野氏が研究した英語の音則は、米軍のラジオから流れていた標準米語(General American)を土台としていますが、話し言葉には地域的な特色があり、また個人的な癖もあり、さらに発音は時代とともに少しずつ変化していくので、あまり細かな分析をしすぎると、かえってわけがわからなくなります。音声学者になるなら別ですが、一般の人はわずかな音のずれについて云々しないほうが英会話は上達します。
 英語の1音節は<子音+母音+子音>(CVC)の形をとりますが、吉野氏は|CVC|CVC|CVC|CVC|という音節の並びが|CV|CCV|CCV|CCVC|とリンキングすることを指摘しました。とすると、たとえばbasket ballという語は次のようにリンキングしていると見なせます。

  |bas|ket|ball|→|ba|ske|t ball|

 英語話者は上記の右側のように発音しているがゆえに、英語特有のリズムを作り出せているのです。上記した例語で子音のブレンドを自分で素速く発音する練習をしてみてください。アメリカ人のように発音できましたか?

3、英語は個性的に歌う

 言語は音楽です。英語の音楽性を身につけるには、その音階がかもし出す音の法則を知る必要がありますが、その手段として、われわれは「ボイス・プリント」を利用することによって英語の音則をさぐりあてました。
 ボイス・プリントを見れば、とどのつまり、英語の1つ1つのサウンドを正しく発音できなければ、英語らしい音楽を奏でることができないことに気付かされます。しかし、発音の大切さに気付かない英会話の水準は、囲碁・将棋の段級位に喩えれば、どんなにひいき目に見ても5級以下としか見なせません。「現実は肯定する」しかなく、英会話の段位を目ざす人はボイス・プリントの基礎になるPV法から始めるべきです。英会話はある種の技術ですから、どんなに繕ってみても、ゴマカシが通用する世界ではありません。
 とはいうものの、自分の音楽的素養の限界点がわかった時点で、音声の習得について、ある程度の妥協をすべきです。オペラ歌手になるわけではないからです。英語のサウンドをできるだけ正確に発音できるに越したことはありませんが、歌の世界では、正確さよりむしろ個性のほうが大切ですから、少しくらい日本人的なアクセントを残したとしても、それをむしろ個性的な利点とすべきです。
 英会話において最も大切なことは、自分の話したいことを自由自在に話せるかどうかにかかっているわけで、話す内容が素晴らしいテーマであれば、英語話者は自分たちと対等に扱ってくれます。
 ニーナの指摘に理解を示したとしても、細部こだわる必要はありません。アメリカ人とまったく同じになろうとすると、かえって迷路に入り込んでしまいます。