■『英語の歴史』中尾俊夫著

2007.7.13(金)

英語は不完全ゆえに変容した

【Q】御社のウエブページを見ると、「言語は不完全だから、絶え間なく変化している」という前提に基づいて英語教材を作っているような気がしますが、「英語という言語が不完全で時代とともに変化している」事例を示していただけませんか。

(C・S)

【A】現代日本人に学校で教わる古文(国語)がわかりにくい以上に、古英語と現代英語を比べると、まるで別の言語のような大きな違いがうかがえます。簡単に説明するだけでも何十冊もの本になるでしょうが、講談社現代新書の中尾俊夫著『英語の歴史』は超カンタンにその具体例を示しています。
 たとえば、完了形は他の言語に見られない英語独特の構文で、それを現在完了形に関係する次の2つの例文を掲げています。ちなみに、現在完了形の翻訳の必要上、日本語そのものも変容を余儀なくされました。

 (1) I have my work finished.
 (2) I have finished my work.

 (1)の have はいわゆる「使役の have」と呼ばれる「〜させる」「〜してもらう」という意味で、辞書には“I'd like to have these shirts cleaned.”とか、“Can I have it delivered?”といった<V+O+C>型の文例が示されています。
 (1)の文は、じつは古英語の<have+O+過去分詞>型の文です。しかし、古英語後期になると、過去分詞は目的語とではなく、主語と関連づけられ、そのため<have+過去分詞+O>型の構文に移行して、中英語以降に現在完了文として確立されたことを本書は教えてくれます。また、18世紀以前の現在完了の助動詞として、have と be の両方が使われていたことも併せて説明しています。
 なお、助動詞 do が最初に現われたのは、13世紀初頭の肯定文においてで、その使用は16〜17世紀に頂点に達して、そのあと消失したと本書は指摘します。この do は現在使われる強調のそれとは別物で、アクセントがなく、韻文では ran とするところを did run として、音節を増やすために用いたとも言います。さらに、疑問文での助動詞 do は、13世紀後半に現われるとのことです。助動詞 do ひとつ取り上げるだけで、ゆうに1冊の本になりそうです。本書には長々と解説するスペースが与えられていないので、各項目ごとに非常に簡単にまとめていますが、全体を通して英語が劇的に変化した言語であることを存分に証明しています。
 どんな言語であれ、誕生のときは素朴な形で始まっています。その後、言語は必要に応じて不完全さを「補完」する形で発達しますが、現代もなお発達途上にあると言えます。古今東西を通して、最も完成形に近い言語は、現在は死語になったラテン語であると主張する学者は少なくありません。人工語のエスペラント語は、ラテン語の未完成部分を補正したものと言う学者もいます。
 われらが日本語は、明治維新後に各地の方言を弱めるための力学が働き、日本じゅうの人々が共通的に用いることが可能な言語に変貌しました。古語と比べて、現代日本語は音韻的・構文的に美しい言葉と言えませんが、日本人の間では通じやすくはなっています。TVの発達でその傾向はますます助長されています。
 現在のところ、琉球方言はなんとか生き残っていますが、いずれは滅びる運命にあると予測されます。琉球方言は美しいけれど、文法の形態が他県人にはわかりずらく、現地の次世代の子供たちにも会得しにくいと思えるからです。日本人にとっては、むしろ論理的な文法を持つ韓国語のほうがはるかに学びやすいと言えます。
 「日本人は英語よりまず日本語をしっかり身に付けなければならない」と主張する御仁がいますが、最初期に日本語に深く入り込みすぎると、英語の入る余地がなくなります。日本語と英語を同時進行で学べば、両立できることは数多くのバイリンガルが証明しています。ヒトの言語脳にはその程度の能力しかありません。
 21世紀の国際社会において、実用的に広範な言語はおそらく英語だけです。日本語は井戸の中の蛙語として使われますが、ひとたび世界に出れば、英語でないと意思を疎通できません。日本人が築いてきた文化的・技術的遺産は、今後は英語を介して世界じゅうに広がることでしょう。人口が漸増しつつあるアメリカには、英語を使える人材が溢れかえっています。彼らを日本の小学校に受け入れれば、一挙何得になるのか、予測不能なほど日本社会に大きく利するはずです。

(K・T)