■外国人講師は立ち上がれるか?

2007.11.9(金)

 NOVAでの社長追放劇によって、外国人講師も、受講者も、このたび千載一遇のチャンスを得たと言えそうだ。とりわけ、わが国での英語教育改革にあっては、逃してはなるまじき絶好機で、歴史の転換点とは、こうした場面 を指すのではないかと思う。
 報道によると、講師たちの労働組合(?)は「食糧費と引き替えに授業を提供する手筈を整えている」ようだが、この方法をヒントに、インターネットを活用して、正規の事業として推進すれば、売り手と買い手とが直結されるため、運営コストが大きく削減されて、供給側の個々の講師に配分される income が増加して、購入側の負担が少なくて済むシステムが構築できるかもと期待してしまう。
 NOVAの外国人講師は、支援企業を捜す必要はさらさらなく、一時凌ぎであれ、もし代替資本の介入を許せば、またぞろ以前と大同小異の形態を招くことが予測される。とはいっても、立ちはだかる壁は高く、外国人労働者に対して冷淡なわが国の法律は、チョー零細外資による新しいビジネス展開を決して許さないだろうと懸念される。
 だからこそ、世論が外国人講師に熱い同情を寄せている今、なし崩し的な素早い行動に移る必要がある。マスコミが応援報道してくれるに越したことはないが、当面それは当てにせず、今回のケースでは有名な外人タレントの登場が望まれる。たとえば、Pくんはハーバード大学出身だし、たぶん法律はお手のものだろうから、日本の外国人労働者の資格改善に向けて、ひと汗かいてはいかがだろうか。Pくんが芸能界の仕事だけで満足するなら何も言わないが、もし彼が国外へ強制退去させられるほど活動が激化すれば、マスコミが彼にエールを送るのは間違いない。ここはひとつ誰か名の知れた外タレが義を見てせざるは勇無きなり、と腰を上げれば面白い展開になりそうだ。
 NOVAのS社長は「人件費を抑えるには、講師に長く務めてもらわないほうがいい」と嘯いていたそうだが、この言葉を裏返すと、英語が話せて、(望むべくはブロンドであれば、)教え方なんか何も知らなくてもいい、と放言しているようなものだ。人に何かの技術を身に付けさせる教育の難しさ、とりわけ英語を教えることの至難さは、現場で問題意識を胸に抱くインストラクターなら存分に知りえているけれど……。
 NOVAは身分不相応の広告料をつぎ込み、駅前留学用として全国各地に一等地を借りて、S社長があがりを一人占めして、働き手の講師たちを薄給にとどめていたとか。常識的に考えれば、経営が成り立つはずはない。ほんの少し事業経営の経験があれば、目をつむっていてもわかることだ。S社長は側近にすらわずかな糧しか配らなかったそうだが、日本の現況下では「お前たちの行く先はないぞ」と無言の舵取りをしていたのかもしれないし、結果的に日本語を正確に理解できない外国人講師を手玉に取ったことになる。
 NAVAはもともと英語を教える気などまったくなかったようだ。受講料を全額前払いさせたあと、あまりにもひどい授業内容について苦情を申し立てる受講者を押さえ込んで、いかにして解約させないか、いかにして返金を少なくするかが経営の全ノウハウであったらしく、残念ながら悪業がほんの少しだけ明るみに出たにすぎない。
 なにはともあれ、講師たちの現在の生活上の大ピンチは、天から降ってきたような配剤と喜んで、受講者を満足させる授業を提供すれば、現在以上の収入を得られるかもしれない。一方で、受講者は半分くらいの出しで済むとも計算できる。
 経営上の問題点は、第1に講師陣が英語指導において優れた力量を発揮できること、第2はインターネット上での有効な顧客探しネットワークを構築すること、そして第3は四角四面の杓子定規のような行政の壁をどう突き破るかにほかならない。
 外国人講師たちが現在の苦境を乗り切って、わが国で新しいタイプのビジネスに成功すれば、外国人労働者にとって働きやすい環境が形成されるのみならず、ひいては日本人の英語学習者に実用英語が提供されることにもなる。需給が直結する市場モデルは、他産業の参考にもなり、わが国の人口の減少に歯止めがかかって、多くの部門で消費が増加して、景気の推進にもつながればいいのだが……歴史には外国人を積極的に登用して国を建てたローマ帝国の実例がある。
 もっとも、当社は当事者でないから勝手なことが言えるだけで、現実は外国人講師の大半が英語の教え方を知らない腰掛け気分での来日と聞く。優れた旗振り役がこの場面 は有象無象をまとめないことには山積する難問題は片付かない。わが国での外国人の雇用条件の不利を見るにつけ、あまりにも悲しすぎて黙っていられなかった。

(藤田修司)