■20世紀半ばの日本人とは?そのとき英語は?
2008.8.2(土)
「合いの子」が増えている。合いの子は差別用語と聞いたが、この言葉になぜ差別的な意味合いが含まれるのか、私の国語力では理解に苦しむ。
太平洋戦争後、一部の日本人女性がアメリカ人の「オンリー」になったが、容貌の不足もしくは何らかの事情でそうなれない婦人たちの顰蹙を買って、彼女らは陰口を叩かれたが、それを耳にする私の子供心にはジェラシーと映った。オンリーはある意味では選ばれた女性で、ガード下にしか立てない女性のほうがはるかに数が多かった。
わが国のオンリーの歴史は近年になって封印され、いまは知る者も少なくなったが、私は肯定的に解釈している。第二次世界大戦中、ドイツ占領下のフランスで一部の若い女性がドイツ将校のオンリーになり、ドイツ敗戦後のドイツ女性の一部が飢えを凌ぐ手段として何を選択したかはその方面の歴史を調べればすぐにわかる。
私は1940年代の占領下のわが国を過ごしながら、ちっとも不幸な時代と感じなかった。多くの日本人は飢えていたし、物質的には現在より何百倍も貧しかったけれど、戦時中より千倍も万倍もましに感じたし、なにしろ自由な空気が気持を晴れやかにしてくれた。
人類史では、勝者が敗者を奴隷にするのは当然であったが、奴隷的身分から最高権力者に出世した者もいれば、オンリー的存在から皇帝の妃にまで登りつめた者もいる。
戦後日本のオンリーたちは同胞に対して確かに後ろめたい恥じらいを持っていた。自分たちが巷の人々よりモノ的に多少はいい思いをしたからかもしれないし、戦前からの道徳教育の名残だったかもしれない。しかし、世俗一般の庶民は、ハリウッド映画の華やかさに触れ、アメリカ文化に憧れ、猫も杓子も空前の英会話ブームに参加し、“Come,
come, everybody, how do you do and how are you”と歌っていた。フルブライト留学生はさしずめ若者の羨望の的であった。
一方、米兵が帰国してテテナシ子状態になり、母親が養育を放棄した混血児の中には、エリザベスサンダースホームに収容される子供もいた。米兵との間にできた子供の母親には、夜の水商売に携わる者が多かったがゆえにか、ウィキには合いの子は放送禁止用語で、混血児に代えたと説明しているらしいが、私には混血児と呼ぶほうがむしろ差別的に聞こえる。
敗戦から63年間が経過した。当時の合いの子の孫世代、曾孫世代が日本人になった。かてて加えて、いろんな民族との合いの子たちが日本人として引き続きわが国の社会に溶け込んでいる。若者はちょっぴりエキゾチックな合いの子アイドルの追っかけになり、スポーツ界でも彼らが活躍する場が増えている。ところが、政界・官界・財界・学界・報道界では合いの子アレルギーが払拭されていない。
歴史時代になって以降、わが国への特定民族の大量移入はないが、ミトコンドリア中の遺伝子レベルで見ると、日本人はまさしく大混血児のようで、近年における他民族の血の導入もあいまって、今世紀半ばの日本人は現在とかなり違っていることが火を見るより明らかである。もはやこの流れは止められない。
私の弟の娘はニューヨークで合いの子を育てているし、知り合いの中にも合いの子が数多くいる。メルの娘さん(高校生)は公費で1年間のスイス留学へ向かった。バブの娘さんは小学校だけアメリカンスクールに通って英語を第一言語としたあと、中学校から日本の学校に転向した。バブは日本で生活するなら、国語だけはしっかり勉強しなさいと娘さんにアドバイスをしている。バブは一般の日本人より使われない日本語を知っているけど、日本人なら絶対に間違えようのない日本語を間違えることで、日本人と平等に扱ってもらえない彼の実感であろう。
もしわが国の全県で教員試験が公平に行なわれるようになれば、英語教師はバイリンガルたちだけになる日も近い。さすれば、わが国の英語教育は一変して、実用英語が主体になるだろうし、そのうち英語を自在に使いこなせる政治家・外交官・銀行家らが輩出されるであろう。
(藤田修司)