■“The Client”『依頼人』より

2003.2.14

裏社会で使う言葉の構造

 『依頼人』(The Client)という作品の中に下記のようなフレーズが出てきます。

  Don't you touch that damn door!

 マフィアお抱えの弁護士のセリフです。彼は自動車の排気ガスを吸って自殺しようとしますが、そのとき、それを止めようとしたマーク少年がとっつかまってしまいます。弁護士が「余計なことをするな」とマークを自分の車の中に押し込み、「いっしょに死ぬ んだ」と死の旅の道連れを迫ります。そのとき、マークが隙をうかがって逃げようとする態度を感じて、弁護士ががなり立てるようにどなったときの言葉です。
 文末が「びっくりマーク(!)」ではなく、「はてなマーク(?)」なら、いわゆる<否定疑問文>になり、「あなたはその忌まわしいドアに触りませんでしたか?」とたずねるフレーズになって、文法の語順上、疑問を差し挟む余地のない文になりますが、このセリフが明らかに命令文であることは、映画を見ていると容易に判断がつきます。

  Don't / you / touch that damn door!
 (やめろ、てめえ、そのくそドアに触るのを)

 すなわち、この Don't は<否定命令文>の「するな」という意味で、“Don't move.”(動くな)などと同じ使い方です。つまり、Don't と禁じておいてから、「お前がそのくそドアに触る(のを)」という肯定形の文を続けているわけですが、命令文なら you を入れないのがふつうです。
 頭が混乱しないように、すこし整理しておきましょう。なお、煩雑さを避けるため、that damn door は the door として示します。

  (1) Touch the door.      ……命令形
  (2) Don't touch the door.   ……否定命令形
  (3) You touch the door.    ……肯定形
  (4) You do touch the door.  ……肯定強調形
  (5) You don't touch the door. ……否定形
  (6) Do you touch the door?  ……疑問形
  (7) Don't you touch the door? ……否定疑問形
  (8) Don't you touch the door!

 冒頭に示したフレーズは(8)に属します。do が強調の助動詞であることは、上に列挙した例文を見るだけで理解できます。そして、ふだんは言わない you が入ることで、行為者をも強調しています。さらに、damnでdoorを形容することで、ドアに触る行為そのものまでもが強調されています。
 言葉は「音声」と「意味」と「構造」とで成り立っていますが、特殊な言い方にするには、それぞれの面 でバリエーションをつけて表現するのがひとつの手法です。たとえば、暴力団の人が口にする日本語では、裏社会でのみ通 用する隠語が用いられ、強調する部分を文頭に持ってきて語順を変えたり、どなるように言ったりすることで、自分たちの言葉が世間と違うことを誇示します。つまり、「音声・意味・構造」のそれぞれでバリエーションを作って、他との違いを際立たせるのです。英語も同様で、自殺願望のこの弁護士は明らかに裏社会の人ですから、ヤクザふうの言葉を使っていると見なせます。
 音声的には、2個の弾音(dとt)を含むdon'tで始めて、youを挟んだあと、それに続くtouch that damn doorでは、それぞれの語頭の3つが弾音で、1つが歯間音です。しかも、どの語もCVC型の音節から成る単語ですから、速く発音すると連射銃のような音声が口から出てきます。この映画のために、わざわざ作った言葉ではないかという印象があります。
 さて、マークが座席に放置している拳銃に目をやったとき、弁護士との間で次のようなやりとりがなされます。

 弁:You want that gun?(そのガンが欲しいか?)
 マ:No……sir.(いいえ)
 弁:You're looking at it. (お前はそれを見てるじゃないか)
 マ:I wasn't, sir.(見てませんよ)
 弁:Don't you lie to me! If you lie to me, I'll kill you. (俺に嘘をつくな!嘘をついたら、俺はお前を殺す)

 最後の“Don't / you lie to me!”もやはり<否定命令形+肯定文>の文型になっています。マフィアも、ヤクザも、似たような思考パターンを持つんでしょうね。
 この映画は少年と女性弁護士がマフィアとFBIを手玉に取って活躍する痛快談で、世界少年少女名画全集に入れてもいい作品ですが、言葉遣いによって各登場人物の個性を見事に描き出しており、とにかく一見の価値がある英語教材です。