■“Gladiator”より
2006.5.19(金)
ラテン語の気分を英語にすると……
『グラディエーター』は俗に言うローマ物であって、ローマ史劇と呼べる作品ではない。ローマ帝国を扱った映画は、例外なくスペクタクル的になるが、それは古代ローマ自体がスペクタクルな存在であったからと言うほかない。
ローマ人はラテン語を話していた。ラテン語はいまでは死語にすぎないが、その普遍性は絶大な「永遠性」と「広域性」を持っていて、私たち日本人はおもに英語を通してカタカナ語としてラテン語の単語を日常的に何千語も使っている。
それゆえ英単語を覚える近道は、ラテン語に通暁することにほかならず、そのことに気付いた教育経営者がもしわが国に登場したら、きっと中・高の教養過程としてラテン語を学習課目のひとつに取り入れるはずで、それは20年以内に実現すると私は予想している。
英語もままならないのに、なぜ使いもしないラテン語を学ぶ必要があるのかという声が挙がりそうだが、それはなぜ幾何を勉強しなければならないのという疑問とほぼ等しい。漢文や英語その他の外国語の達人が日本語をきわめて独創的に上手に書くことからして、ラテン語力は国語力の向上につながると断言していい。
私たちはローマ帝国の物語をおもにハリウッド映画を介して知るしかないが、ラテン語を知る者がローマ物の映画を見ると、すぐに笑い出す。本作品の冒頭にローマ軍がゲルマン民族を攻撃する場面があった。火を付けた矢を敵陣に打ち込むとき“Ignite!”(火をつけろ)と命令するセリフを聞いたとき、いっしょにDVDを見ていた欧州出身者が鼻でせせら笑った。戦争物なら“Fire!”と言うところを、シナリオライターはラテン語由来の
ignite を使って古語的な味を出そうとしたようだが、くだんのEC人はスペースシャトルを発射するときの
ignition(点火)を連想したと言う。
本作品は全編これ格闘シーンで、言葉を味わう場面は多くないが、皇帝 Aurelius
がその子 Commondus に向かって“You will not be emperor.”(お前は皇帝になれない)と宣言したのを聞いて、子が父に恨みごとをぶつけるシーンのセリフ群は圧巻である。
コモダスはあなたが求める4つの徳は自分にないが、野心(ambition)、策略の才(resourcefulness)、戦場で発揮するのとは別種の糞度胸(courage)、身内への依怙贔屓(devotion)という4つの(悪?)徳があると告げ、父が“You
go too far.”(お前は手の届かないところへ行ってしまった)と嘆くと、涙ながらに決めセリフを返す。
One kind word, / one full hug / where / you passed me / to your chest
/ and / held me tight, / would heve been / like the sun / on my heart /
for a thousand years. / What / is it / in me / you hate / so much?
(優しいひとこと、1度の力いっぱいの抱擁−−あなたの胸に私を強く抱き締めてくれていれば−−私の心には千年も輝く太陽に映ったことでしょう。私をなにゆえそんなにうとまれますか?)
この映画のセリフは古語らしく感じさせようとするせいか、二重否定など持って回った言い方が多く、英語話者には変則的に感じられる語順の文が少なくない。むろん日本語と同じ語順には訳しづらいが、斜線で区切って示したように、英語が語群(chunk)単位に成り立つ言語であることがよくわかる1節である。kind、full、hug、pass、chest、hold、tight、like、sun、heart、thousand、hate、much
など、おもにゲルマン語系の単語を使いながらもラテン語的な気分をかもし出している。そして、would
have been がラテン語の屈折語的な雰囲気を表現している。
皇帝が“Your faults as a son is my faiture as a father.”(子の至らなさは父である私の落ち度だ)というセリフは諺にしたいくらい上手すぎて泣けてくる。受験英語を学ぶ者には長文の読み方のコツを教えてくれる脚本と言いたくなる。ラテン語を知る者には面白い英語かもしれないが、非英語話者のわれわれが「屈折語から独立して語群単位の語順方式で文意を示す言語に成長した英語」の本質を知るには学ぶべき価値の高い作品と評せる。
(藤田修司)