■映画で見つけた英語“New Orleans”より

2007.12.1(土)

 英語は語順どおりに理解するのが一番!

 映画は1917年の New Orleans(ニューオリンズ)の裏街 Orpheum Cabaret という賭博場の裏口から始まる。作品の製作年度は1947年と記されている。Satchmo(サッチモ)こと Louis Armstrong(ルイ・アームストロング)が30歳年下の自分(himself)役を演じているが、実話かどうかは知らない。
 物語は blues(ブルース)が育まれる過程に沿って、カジノ経営者から音楽プロデューサーに転身して成功を収める Nick Dequesne(ニック・デュケン)とクラシック歌手の Miralee Smith(ミラリー・スミス)の愛の交歓をおもな筋立てとしている。なお、ブルースの来源については、ミラリーが“Where does such music come from?”と問うて、ニックが“Well, it comes from Worksaw, the God Coast of West America, little Christian churches river boats”と答えるシーンがある。
 音楽の修行を終えた令嬢のミラリーがわが家に帰ると、のちにサッチモの伴侶になる Billie Holiday(ビリー・ホリディ)扮するメイドの Endie(エンディー)がピアノに向かってブルースを弾き語りしている。ミラリーがエンディーに問う。
 “That music / you were / playing / what / was it?”
 (その音楽、あなたが、引いてた、何、だった?)
 学校の英文法では、区切りを示す斜線を were の前に入れて、were playing の形を「過去進行形」と教えるが、私の英文把握は斜線どおりにする。そのほうが語順どおりに英語を理解できるからである。
 私は学生時代に英文解釈を漢文式に学んだ。すなわち、ピリオドのところまで読んだあと、後ろから訳す方法を学習させられたが、漢文と英文の語順が似ているので、外国語はどれもこれもおよそそんなものだろうと寸毫の疑いも抱かなかった。
 ところが、当社が『えとのす』という考古学系の季刊誌を発刊することになって、台湾で中国語→日本語の翻訳をプロモートする仕事に携わったとき、翻訳者たちから共通 する話を聞いた。当たり前のことだが、それは中国人の誰もが中国語を頭から順々に感じとるということであった。
 翻訳者のひとり坂斉万知子さんはギリシア語にも非常に堪能な方だが、私にそうした読み方のさわりを示唆してくれた。また、王博雅氏は小学校6年生まで満州で生活した日本語話者で、帰国後の日常生活を通 して、やっと中国語を語順どおりに扱えるようになったと語った。しかし、英語ではその芸当ができないので、いずれアメリカに行くつもりだと言って、のちに渡米を実行した。
 そのとき以来、私は外国語をいかにして語順どおりに把握するかに取り組むことを決意した。そして私はいま、you were が「相手の過去の状態」を示し、playing が「動作中」であると認識できて、英語話者と会話するとき、無意識にそのチャンク(語のかたまり)で考えていることを自覚している。なお、( )内に示した日本語訳は英文と一致しないけれど、言語の形態が違うのだから仕方ないと考えている。
 さて、エンディーが答え、ミラリーが問い続ける。

E : It was / a kind / of little old blues ture.
M : Blues? / Do you / play the blues / only / when / you're / blue?
E : No, / ma'am. / They just / call it / blues. / We / play it / when / we're / blue, / or / when / we're / happy, / even / when / we're / in love. / Right now / I'm / in the latter.

 あえて訳す必要はなかろう。とにかく私の頭の中では斜線に従って理解されている。もっとも英文に慣れれば慣れるほど斜線のいくつかをどんどん省略できるようになり、実際に私もそうしている。しかし、最初のトレーニング時代はチャンク法(当初はシンタックス法)の基本を固く守った。まさしく「分ければ分かる」とはこのことだろう。
 ハリウッド映画には、外国人訛りで話す人物が必ずと言えるほど登場する。方言の話し手も少なくない。この映画のミラリーは英会話の教材に出てくるような丁寧な話し方をするが、彼女の師匠のピアノ奏者 Henry Ferber(ヘンリー・ハーバー)はヨーロッパ系の発音・単語・文脈で話す。サッチモは映画“Casablanca”ほど本格的でないにしても、黒人系の Creole(クレオール方言)の香りが漂う話し方をする。ほかにも標準英語を使わない人物がいろいろ出てくるが、彼らの間で会話が淀むことはない。
 映画だから、雰囲気的に、それぞれの言い回しの特徴を残してはいるものの、観客にわかりやすいように、脚本は日常語をかなり脚色したうえ、気のきいたセリフに加工している。ともあれ、いちいち英語のいろいろな言い方の文法にこだわって解釈しようとすると、ついていけなくなる。
 数日前、英語話者と結婚した私の弟の娘が赤ちゃんを連れて里帰りしたとき、日常会話についていくつか質問をしたところ、彼女は「そうは言わない」とか、「こう言う」と答えるだけで、英文法にはほとんど無知だった。

(藤田修司)