■日本の英語教育

2002.7.11

 新年度になって、にわかに小学生対象の英語クラスが増えたようだ。楽しげな風景が新聞をにぎわせている。学習教材の広告も「英語で遊ぼう」「ゲームで楽しく」と、いかにも遊んでいる間に、自然に英語力がつくようなキャッチフレーズが並んでいる。
 日本人は、どちらかというとムード派の民族であるから、歌ったり、踊ったり、ゲームをしたりしているうちに、本当に英語ができるようになると思ってしまうふしもある。確かに全国的にそのようなムードが蔓延している。
 ごく最近までの英語の学習法と言えば、文法・訳読が中心で、ほとんど声を出さずに、目で読むだけで、ヨコに書いてある英語をタテ書きの日本語に直訳するばかりの学習であった。それが手のひらをかえしたように、会話、会話と言われはじめて、今度は正式な文型も習わないうちに、会話体だからということで最初から省略形がテキストに現われるというような支離滅裂な学習方法が横行する日本の英語教育である。
 もっとも困るのは、正確な英語音の学習が抜け落ちているのに、ほとんど誰も気づいていないことである。
 「エー、ビー、シー、デー、イー、エフ、ジー」や「ワン、ツー、スリー、フォー、ファイブ、シックス、セブン」など、おおらかにカタカナ英語で歌っているが、英語で使われる音とは似て非なる音であるということを感じている人は、どれくらいいるであろうか。
 暗唱大会などに出場している中学生の英語は、二十人中十九人までがカタカナ英語であることから、先生方も気づいてはおられないのであろうと推察される。
 例を挙げればきりがない。カタカナ英語で「ライス」と言うと、「米」ではなく、「しらみ」に聞こえる。「シー」と言うと、「海」ではなく、「彼女」に聞こえる。「シットダウン」と発音すると、「座ってください」ではなく、「くそったれ」という意味に取られる。「フォー」と言うと、「4」ではなく、「売春婦」になることなどを知っていれば、カタカナ英語がいかに英語コミュニケーションにとって害になっているかおわかりになるだろう。
 いま、日本の英語教育が直面している課題は(とくに白紙状態の小学生にとって)、たまには歌ったり踊ったりもいいけれど、英語体力になる正しい英語音を教えることと、段階的に英語力を養っていくカリキュラムを作ることである。ムードとしての英語ではなく、効率のよいメソッドと展開的なカリキュラムで、確かな英語力を培うことである。

島 幸子(山口東京理科大学教授)