[01]学歴重視のアメリカ社会
2002.10.11(金)
日本と違いアメリカでは学歴はさして重要でなく、努力しだいで成功への道が開かれる、とかつての私は思い込んでいた。しかし、実際には学位が大いにモノを言う社会である。高校までの義務教育を終えていないドロップアウト組の就職も限られるし、海軍に入隊するときの試験も高卒者よりすこし難しくなる。
私が教えていた公立校でも教員免許のほかに、修士号があれば免許だけの人より給料が高くなるばかりか、学校は教師が修士号をとるための大学院の授業料を援助する。
一般企業で管理職に就くには、MBA(経営学修士号)とか、専門分野での修士に相当するより高い学位が必要とされている。
大きい大学では、博士号がないと教授の卵にもなれない。非常勤の講師でも修士号が必要で、まれに著名なアーチスト、音楽家、文筆家、政治家が大学に招かれて教授になることもあるが、いくら実力があっても、ふつうの人は学士号だけしかないと雇ってすらもらえない。
昔、私がUCLAに在籍していたころ、日本の有名大学の文科系の教授が客員として来ていたが、彼は博士号をもっていなかった。周囲の教授連がすべて「ドクター」と呼ばれているなかで、彼だけが「ミスター」であった。
「日本の文系では博士号なんて単なる飾りで、夏目漱石以来、実力があればいいことになってるんですが、でも、なんだか学生たちからばかにされてるみたいだな」とぼやいていた。
一般的な呼び方は、日本のように大学教授を「さん」づけにはしない。博士号をもっている人に対して「さん」では失礼になるからである。とくに少人数のクラスで教授がファースト・ネームで呼び合っていい場合を除いて、教授と学生の間では必ず「ドクター・ジョンソン」あるいは「プロフェッサー・ジョンソン」と呼ぶのがふつうである。
大統領に面と向かうときは「ミスター・プレジデント」と呼び、政府の長官にも「マダム・セクタリー」と職名に敬称を付けて呼んでいる。しかし、自分を名乗るのときにドクターを付けるのは医師の場合が多い。
小・中・高校では、生徒は必ず先生にミスター、ミセス、ミスを苗字に冠した呼び方をしなければならない。いくら親しい関係にあっても、生徒からの尊称がないとクラス運営は難しくなるからで、「ミスター」を付けたから生徒に尊敬されているわけではない。教師が生徒の親に電話をかけるときなど、「ディスイズ、ミセス・コジマ」などと名乗る。
ちなみに、親子関係では「マーム」(Mom お母さん)、「ダード」(Dad お父さん)がふつうだが、継母や継父にはファーストネームで呼ばせている家庭が多いようだ。
学内で「プロフェッサー」とか「ドクター」と呼ばれているからといって一般社会でその教授が尊敬されていることにはならない。社会的地位では大学教授より医師や弁護士などのほうが高いと一般は認識している。収入が高いからであろうか。
日本の新聞ではテロリストのビン・ラディンに「氏」をつけているが、アメリカでも新聞記事には殺人犯であってもミスターが付けている。しかし、さすがに「悪の枢軸」の張本人ビン・ラディンやイラクのフセイン大統領などは呼び捨てにしている。もしビン・ラディンが捕まって裁判にでもかけられるようなことがあれば、弁護人は彼にミスターを付けて呼ぶだろう。
私の友人はph.D(博士号)を完全に終えないうちにメジャー級の大学の音楽学科のアシスタント・プロフェサーの職を得たが、この一件は非常にまれなケースで、大学では彼女に勝る適任者を見つけることができなかったためであったが、博士過程が完了するまで彼女の給料はもちろんph.D分が差し引かれていた。
(小島恒子)
当社のメルマガを読んでくださっている読者のひとりからアメリカの事情を知らせていただきました。現在、小島さんは大学でアメリカ人学生相手に日本語を教えていますが、かつて5年間ほどニュージャージー州の公立高校の教師をしていました。母語ですら高校生に接するのは大変なのに、小島さんは高校生英語の荒波の中を泳ぎ抜いてきた人です。
今後も小島さんの貴重な体験をこのメルマガに掲載していく予定です。乞う、ご期待!
新日本教育図書(株)編集部